寿司 is ビュティホー!
気づけば私は肉より魚を選ぶ人生を送っている。 日本において食の好みは「肉派」が7割、「魚派」が3割。少数派だ。 焼肉の話題で盛り上がる輪の中でも、頭の片隅では「魚が食べたい・・・」と考えている。 魚料理は何でも好きだが、やはり刺身や寿司となると少しテンションが上がる。 火を入れた魚ももちろん美味しいが、切るだけ、握るだけで成立してしまうあの潔さには、何度食べても心を掴まれる。 素材の鮮度がすべてを物語る世界は、どこか緊張感があって、それがまたいい。 好みを言えば白身魚派だ。タイ、スズキ、ヒラメ・・・ 噛んだ瞬間は静かなのに、遅れてじわっと旨みが広がるあの感じがたまらない。 そしてアジやサンマといった光物も、しっかり好きだ。 特にアジ。脂、香り、食感、そのバランスの良さが素晴らしい。 そんな魚好きの私にとって、寿司は外食の有力な選択肢だ。 週に1回は回る寿司屋へ足を運ぶ。 最新の回る寿司は侮れない。 ネタは安定しているし、サイドメニューも充実している。 気負わず、考えすぎず、今日はアジを2皿いこう、なんて気軽さがある。 これはこれで、日常にちょうどいい。 一方で、2ヶ月に一度くらいは「今日は回らないほうで」と自分に言い聞かせる。 暖簾をくぐり、カウンターに座り、職人さんの手元を眺めながら一貫ずつ味わう時間。 値段も空気も違うが、その分、魚とちゃんと向き合っている感覚がある。 白身の微妙な寝かせ具合にうなり、光物の締め加減に心の中で拍手する。 完全に自己満足だが、こういうご褒美があるから日常の回る寿司もより美味しく感じられる。 高級か、カジュアルか。 回るか、回らないか。 どちらが上という話ではない。 魚が好きで、寿司が好きで、 その時の気分や懐事情に合わせて選べればそれでいい。 とは言いつつも、やはり回らない寿司は自分への最高のご褒美だ。 空間のつくり、カウンター越しの距離感、目の前で魚が寿司へと変わっていくライブ感。 一貫一貫に込められた意味や工夫が、説明されなくても自然と伝わってくる。 そして口に運んだ瞬間、料理人の「こう食べてほしい」という意図や美意識が、静かに、しかし確かに口の中で完成する。 あれはもう食事というより、体験に近い。 だから食べ終わるころには、お腹だけでなく気持ちまで少し豊かになっている。 私の仕事であるデザインも同じだと思う。 形や色、余白や手触り、そのすべてに意図があり、使う人や見る人の中で初めて完成する。 派手な説明がなくても、「なんだかいい」と感じてもらえたら、それはもう十分な仕事だ。 寿司職人が一貫に想いを込めるように、 デザインもまた、人の時間や気持ちを少しだけ良くするためのクリエーションなのだと思う。 さぁ、今週末は回らない寿司へ行こう!...