
「ゴキッチョ〜!」
……なんの鳴き声?と思うかもしれませんが、
これは我が家のうずら、まるちゃんの声です。
とにかくよく鳴き、声が大きく、なつかない。
指を差し出せばつつかれるし、そっと手を近づけても「ジッ」と睨まれる始末。
「これって、ペットっていうより家畜じゃない?」と笑ったこともあります。
でも、そんなやんちゃな性格が、どこか憎めなくて。
朝から晩まで元気いっぱいに過ごすその姿に、ついつい目を細めてしまう。
もともと、うずらを飼いたがっていたのは、母でした。
鳴き声が「御吉兆(ゴキッチョウ)」と聞こえることから、縁起がよいとされているらしいのです。
そして、私が大学に入ってすぐのこと。
うずらを飼っている友人と出会い、その子を家族で一時的に預かったのがはじまりでした。
家族みんな、あっという間にその小さな存在の虜になってしまって。
いつしか、「またうずらと暮らしたいね」という気持ちが自然と生まれました。
そして後日、その友人の孵卵器をお借りして、スーパーで買ったうずらの卵を温めてみることに。
あの小さな卵から、ちいさなちいさなヒナが姿を見せてくれたときの感動は、今でも忘れられません。
ほわっほわの産毛に包まれたヒナが、かわいくて。いとしくて。
気づけば家族みんな、うずらのいる暮らしが普通になっていました。
月日が経ち、彼も老鳥と呼ばれる年齢に。
気づけば、あんなに響いていた「ゴキッチョ〜!」も聞こえなくなり、
じっと眠そうにしている時間が増えました。
そんなある日、鍼灸師の母が「お灸をしてみようか」と言い出しました。
まるちゃんを手で包みながら半信半疑で見守っていると、
羽をふわっと毛羽立たせ、じっとお灸のあたたかさを感じているようでした。
その後、本当に少し元気を取り戻したのです。
命に対してできることって、
案外シンプルで、あたたかいものかもしれないなと思いました。
6月、彼は静かに旅立ちました。
5年も生きてくれたまるちゃん。
声はちょっとうるさかったけど、本当にかわいかった。
今も空になったケージを見ると、あのガニ股でドテドテ歩き回る姿が、ふいに目に浮かびます。
今日は8月1日、もうすぐお盆が来ます。
お線香の香りが部屋に漂う頃、もしかしたらまた「ゴキッチョ〜!」と帰ってくるかもしれません。
できればもう少し静かに帰ってきてほしいけれど、でもやっぱり、また会いたいな。
デザインの仕事をしている私たちにとって、
日々の中で何かを“整える”ことは、ごく自然な行為です。
でも、彼と暮らしていた時間は、もっと直感的で、体温のある“整える”の連続でした。
うずらがくれた時間は、形には残らないけれど、
きっとこれからの暮らしや仕事のなかに、
静かに、でも確かに息づいていくように思います。
まるちゃん、次に帰ってくるときは、もうちょっと優しくつついてね。