クリエイターズコラム
紡げばいずれ、まかりなる

「月が綺麗ですね」

I love youをそう訳せば良いと言ったのは、彼の文豪・夏目漱石だという。
その表現の美しさたるや。
言葉とは、時として私たちの心に新たな火を灯す創造性を秘めているのだと、そう思わされる。

言語的相対論をご存知だろうか。サピア=ウォーフの仮説とも呼ばれるそれは
「宇宙観、思考や概念、経験様式などは用いる言語が異なれば、それに対応して異なる」としたもので、
映画『メッセージ(原題:Arrival)』の題材にもなった仮説だ。
平たく言えば「言語によって異なる思考が形成される」ということなのだが、顧みれば、
私たちが使う日本語という言語は、いかにも私たち日本人の感性を司るものであるように思う。

 

日本語の歴史はとても古く、非常に独特な言語である。そんな長い歴史の中で、先人たちはあらゆる言葉で愛を紡いできた。
目には見えないその想いを言葉として記し、音に乗せ、伝えてきた。その表現の深さに、私はたびたび、日本語の美しさを見るのだ。

殊更、翻訳においてそれは顕著であると思う。それは先述の「月が綺麗ですね」も同様であるが、
作家・二葉亭四迷が訳したロシア文学『片恋』の「死んでもいいわ」という言葉もまた、独特の表現だろう。これは「yours」を訳した言葉で、「yours=あなたのもの=意のままにしてください=死んでもいいわ」という、
大変奥ゆかしくも激情を秘めた言葉である。実に日本らしい表現に脱帽する。

翻訳といえば逆に、日本語にない表現に出会い、新しい価値観を見出すこともできる。私たちしか「桃の流れる音」を知らないように、私たちは「蝶がお腹の中で羽ばたく感覚」を味わうことはあまりないだろう。

文学・言語学とは、知れば知るほどその文化や価値観を学ぶことができ、
それがいずれ私たちの一部となって、創造する上での知見をより明るく照らしてくれるのだ。

言葉を紐解き、紡ぐということ。

それは、そのものの価値を創造するという点において、私たちがするデザインと通ずるものがあるだろう。
それ故に、どちらも私を魅了してやまないのだ。

それにしても、夏目漱石は「月が綺麗ですね」という言葉にどう答えるのだろう。あるいは、答えがないその余白こそが、この言葉が今日まで私たちを魅了し続ける所以なのかもしれない。

夜の帳が下りる中月を見上げ、ふとそんなことを考える夜がある。

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