クリエイターズコラム
Born to Be Wild

東京に出て一年目の夏、ふと大分までバイクで帰ろうと思った。
相棒は和製アメリカン、HONDA STEED 400。
計画も準備もない、ただ勢いだけの思いつきだった。
頭の中では1969年公開の米映画『イージー・ライダー』の劇中歌が繰り返し再生されていた。

ナチヘルにレイバン、真夏の中央道。
脱水症状で神戸港にたどり着き、フェリーで別府へ。
今思えば無謀だが、あの道の上で自分の価値観は形づくられた。

物心がつく頃にはハーレーダビッドソンという鉄の馬に惹かれていた。
それはその存在が、単なる大型バイクではなかったから。
無駄に大きく、重い。そして空冷Vツインエンジンの不規則な鼓動。
速さを競うのではなく、鼓動を感じる。
どっしりと腰を下ろし、風を受けながら進むその姿は、効率や合理性とは対極にある。

日本のバイクが機能美を突き詰めるなら、ハーレーは思想を走らせる。
完成度の高さと同時に、乗り手の解釈を待つ余白を残している。
そこにカスタム文化が生まれる。
既製品をそのまま消費するのではなく、自分の解釈を加えて昇華させる。そのプロセスこそが魅力なのだ。

幼い頃から、そこにあるものをそのまま使うのが好きではなかった。
ラジコンにステッカーを貼り、自転車を塗装し、空き瓶や看板を部屋に持ち込んだ。
大きな革新ではない。ほんの少し手を加えることで、新しい意味を与える。
その感覚は今の仕事に重なる部分かもしれない。

ブランドデザインとは、ゼロから何かを生むことだけではない。
既に存在する価値に解釈を与え、物語を編み直し、時代に接続する行為だ。

ハーレーダビッドソンが100年以上愛され続ける理由もそこにある。
プロダクト以上に、自由と反骨、そして自己責任という思想を売っているからだろう。

数十年前、ルート66をハーレーで走る自分を何度も想像した。
広大な地平線、終わらない直線道路。あれは単なる旅の夢ではない。
「自分の価値観で世界を走る」という象徴だったのだと思う。

あの無謀なツーリング以来、バイクからは距離を置いている。
それでも感性の核は変わらない。
ブランドとは生き方であり、選択の連続だ。

だからこそ、いつかあの場所で走りたい。
広大で果てしなく続くルート66を、やはりハーレーダビッドソンで。
それは懐古ではない。
自分の原点を、もう一度確かめにいきたいという衝動なのだろう。

それこそが、ブランドの持つ力なのだと思う。

 

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