クリエイターズコラム
雲を眺める
何も予定のない休みの日、ふと家の近くの川へ散歩に行きぼーっとする。 川の流れを見たり、とんでいる鳥を目でおったり、それから空高くに浮かぶ「雲」を眺めたり。 そうするとモヤモヤとする気分が晴れて、なんとなく元気になります。 そんなリフレッシュの仕方で心に余白を作っていますデザイナーの中田です。 子供の頃から雲を眺めるのは好きでしたが、最近も散歩の時は雲を眺めることが一番楽しく感じています。 ぼーっと何も考えずに、ゆっくりと流れ変わっていく形を眺めるのも、 真上にある雲を見て空の広さに圧倒されながら風を感じるのもとても気持ちがいいです。 空に雲が浮かんでいるからこそ、 空の広さをより感じられたり、空に物語を想像できたりして楽しく、 悩んでいたことが小さく感じ、ネガティヴなことを考えていたことすら忘れさせてくれる、 そんな雲という存在に心を奪われてます。 学生時代の作品制作のテーマにも雲を題材にしたことがありましたが、 同じ雲といっても大きさや形、浮かぶ高さなどによってそれぞれに名前がついていたり、 意味があったり、想像以上に種類があったことを知り驚かされました。 これからの暑い時期によく見られるのは、名前の聞くことが多い「積乱雲」ですね。 実は同じ「積乱雲」の中でも細かな形の違いで呼ばれ方が変わったりして、これもまた面白いです。 意外と知られていないですが、見た目の近い「入道雲」という呼び名は細かくは積乱雲ではなく、 雄大積雲と呼ばれる積雲という種類に入ってきたり、 他にも「かなとこ雲」や「かみなり雲」などとも呼ばれたり…調べだすと奥が深いです。 同じ形は一つもなくて、次々に変化し続けて、 でもちゃんと「雲」という存在でありつづけている。 ふとデザインの世界も、実は少し似ているなと思います。 確かな正解があるわけではなく、見る人や使う人の心にどう届かせるかで形をかえ、 意味や価値を持たせるデザインの世界。 雲は一度きりの形を空に描き、誰かに意味や価値を与えて消えていくけれど ずっとあり続ける存在で、形にとらわれすぎず、でもちゃんと“らしさ”を持っているもの。 私もそんなデザインをこれからも目指して作っていきたいと思います。 ...
風に誘われて  デザインの本質へ
風に誘われて 木の葉がひらひらとどこからか舞い降り まるで地面に落ちるまでの時間を優雅に戯れるかのように 柔らかな軌跡を描きながら、美しく儚く、想いを紡ぐ 風に誘われて 鳥のさえずりが、どこからともなく響き 小川のせせらぎとともに静かに調和する 思っているよりも時間はゆっくりと刻まれていて 変化に抗うことなく自然の摂理に身を委ねている デザインの発想を求めて週末に、思い立って車のキーを手に取った 最後にその場所に訪れたのは三年ぐらい前だっただろうか 都心の喧騒を少し離れ、心惹かれる神社へと車を走らせる 特に大きな理由があるわけではない ただ、静かにほんの少しだけ“余白”に身を置きたく 自然の彩りのもとへと誘われた 朝の光がまだ柔らかい時間に家を出て 窓の外を流れていく野山の風景に、心がほどけていき “生きているデザイン”のようなものが目の前にひろがる 山道は未完成のキャンバスを思わせる 何も足されていないのに、完全で、美しい 良いデザインは、“余白”にある 足すことより、削ぎ落とすことも大切である 目的地の神社は、山あいにひっそりと佇んでいた 鳥居をくぐると空気が一変し、ひんやりとした静けさが辺りを包み込む 背筋が自然と伸び、歩みはゆるやかになり、境内には誰もいない 耳に届くのは、風に揺れる木々の音と鳥のさえずり そして、自分の足音だけが静かに響いている 手水舎で手を清めると、掌を包む静寂の水は 無垢な水晶のかけらのような感触に包まれる 賽銭箱の前でそっと目を閉じ デザインと向き合う毎日を支えてくれる環境への感謝を伝える 静けさの中で、自分と向き合うこの時間を大切に思う 本殿で手を合わせたあと、静かに山道へと足を踏み出す 澄んだ空気の中、木々がそっと語りかけるように揺れ その響きは神聖な音色を帯びて耳に届く 急な山道を登るたびに 日常が一枚ずつ剥がれ落ちていくようで、心は少しずつ軽やかになっていく 奥宮で静かに参拝し、そのまま山頂へ たどり着いた先には、まるで絵画のような景色が静かに広がっていた 胸の奥から、澄みわたるような感情がふわりと立ち上がり 自分の中の静けさとそっと向き合う デザインと向き合うということ― デザイナーとして日々感じるのは、未来というものがいつもまだ輪郭を持たない、ということ どんなに情報があふれていても、どんなにトレンドを追っていても これから先に“確実な正解”を見つけるには試行錯誤が必要だということ だからこそ、過去の経験や記憶、今この瞬間の情報を整理しながら 一見関係のないように思える断片も見落とすことなく拾い集めて “モノ”と“コト”の本質に向き合うと自ずと次に進むべき方向が少しずつ見えてくる 全ての感覚に細かく耳を澄ませて 今ある空気感、触れた時の素材の質感、本質に潜む光のようなものを丁寧に捉えることで ようやく“カタチ”にしていくヒントが見えてくる気がする デザインとは、単に美しさや機能をつくることにとどまらず 見えない雰囲気や、誰かの心地よさの感情にそっと寄り添うこと そうして生まれたクリエイティブは、誰かの記憶に静かに息づき、“普遍的な価値”になり得ると信じている 不確かな未来を、確かなカタチにするために “今ここにあるものと真剣に向き合うこと” それが、自分にとっての創造の原点なのだと 帰り道、車に戻ると 少し心地よい風が吹き、日差しはやさしく柔らかかった “心の感度”が、静かに戻ってくるのを感じる 自然に触れるのもきっとひとつの“クリエイティブ”なのだろう そんな時間が、また、次のデザインを少しづつ良くしてくれる気がする  ...
衝撃的な出会い
ディレクターの冨長です。 ところで皆さんは、朝の楽しみはありますか? 私の毎朝の楽しみには、コーヒーを飲むことでもなく、読書することでもなく、 眠い目を擦りながら、服を選ぶ瞬間です。 今日は気合を入れたいな、肩の力を抜きたいな、とか、毎日の気持ちに素直になって コーディネートしてます。 そんな私がファッションにのめり込んだきっかけは、高校生3年生の卒業間近で、 ふらっと入ったショップでジャケットを試着して鏡に映る自分の姿を見た時にビビッと衝撃を受けたのを今でも覚えています。 服一つでこんなにも人の印象が変わるのかと。 その日を境に毎日のように服について調べることが増え、コーディネートの配色や服のシルエット、ディテール、装飾、 こだわりだしたらキリがないくらい細かい魅力が服には詰まっています。 デザインの業界に足を踏み入れて、仕事をしてからもその経験が活きていると実感しています。 例えばTPOを考えてコーディネートを組むことと、デザインする商品が誰の手に取られるのかは非常に近しい思考で、 客観的な物事への捉え方を趣味の中で培われたと思います。 分野は違うけれど、視点を変えるだけで他の事に活かすことが出来ることを教えてくれました。 衝撃的な出会いが思わぬ形で繋がって、自分を成長させてくれる。 たかが趣味だなんて言わず、新しいことにチャレンジすることが あなたを成長させてくれる衝撃的な出会いだったりするかもしれません。 これから暑い夏が始まり、自身の装いにも変化が訪れる楽しい季節がやってきます。 そろそろ開催されるメンズのパリコレクションでも見て、最新のトレンドや今年やってみたいファッションでも考えながら、 一緒にアツい夏を過ごしましょう!...
癒しの空間
お客様に笑顔がみたいという思いでデザインを創り続け、日々デザイン業務に全力で励む。好きを仕事にできている幸運と喜びに、ついついプライベートでも仕事のことを考えてしまいがちですが、仕事に集中する時間とリラックスする時間はしっかり分けたいものですよね。 ディレクターの土岐です。私は気になったことはすぐに始めてみたくなるたちで、そのおかげで趣味は多い方で休日は充実していると思います。そんな趣味の中でも特に釣りや、キャンプなど、海に山に自然の中で遊ぶことが多く、自然は私にとって癒しであり、リラックスできる場所です。そんな私がここ数年ハマっているのが観葉植物、とりわけ○○リウムと言われる家の中で植物を育てることです。 ○○リウムとはアクアリウム、コケリウム、テラリウム、パルダリウムと、小さな自然を再現するものです。ガラス容器の中に湿度と光を調整しながら、コケや小さな植物、時には小動物を共存させ、それはまるで自分だけの小宇宙。配置のバランスや流木・石の選定は、まさに自然をデザインする作業。都市の喧騒の中で、ガラスの中に広がる静寂の森は、癒しとものづくりの心をくすぐります。パルダリウムなどは自然の水辺を再現し、水中に小魚や、海老などを住まわせれば水族館のようでもあり、水の流れる音に耳を傾け、魚の泳ぐ様子を眺めているだけで、最高にリラックスできるんです。 自分だけの最高のリラックス空間を楽しめる観葉植物・○○リウムですが、一つだけ悩みが。 それは、ついつい植物を増やしすぎてしまい、気がつけば家の中がジャングル化してきていること。。。 そんな贅沢な悩みに癒されながらも、今日も全力でデザインに励んでいます。  ...
心の働きを知る
文化や芸術、言語能力、思考能力など様々な能力を持ち、知的生命体と呼ばれる人類ですが、心の働きはとても単純な生物です。そんな単純な心理を知ることで、流行っているものがなぜ流行っているのか、なぜこの人はみんなに好かれているのかなどがなんとなく分かってきます。 皆さんは「限定」と書かれているだけでついつい買ってしまったり、「絶対に見ないでください!」という動画を再生してしまったりした経験はありますでしょうか。これは「スノップ効果」や「カリギュラ効果」と呼ばれる人間の行動心理学を利用したマーケティングの一種です。日常生活で目にしているパッケージや広告には人の心の働きを利用したテクニックが隠れていることが多々あります。生きていく中で培っていく一般的感覚や、人間がもともと持っている感覚を知ることでそれを利用することができるかもしれません。赤色を見ると「情熱」や「怒り」という印象を受けるなど、人が無意識的に感じていることを知識として知ることで、売れる商品やバズる商品を生み出せる可能性が上がります。 ビジネスシーンや日常会話の中でも人の心理を利用してコミュニケーションをとることができます。有名どころでいうと相手の動きや言動をそのまま真似をする「ミラーリング」をすると相手に親近感を抱かせることができるそうです。また、会話の前に相手の名前を呼ぶだけでその人の好感度が上がるだとか。確かに一回しか会ったことがなかった人や会って日が浅い人に名前を覚えてもらえているだけで嬉しいですよね。なので、相手の名前を呼びながら相手の真似をしておけば好感度爆上がり間違いなしかもしれません…。また、「リーセンシー効果」といって、人は最後に見たものが一番印象に残るという心理があるそうです。商談やデートでうまく会話ができなかったとしても、最後の別れ際に元気よく挨拶をしたり、盛り上がる話題を持ってくれば、その会はすごく良かったものとして相手が記憶してくれます。終わり良ければすべて良しということですね。 デザインをするときも人間の基本的な心の働きを知ることで、心理テクニックを用いたり、逆に人の心理とは違うことをしたりして違和感を出すなど、アイデアの幅が広がると思います。単純だけど効果が高いものがまだまだあります。あまり知られたくはないのですが、興味のある方は調べてみてはいかがでしょうか。...
「何もしない」をする
こんにちは! デザイナーの竹川です。 突然ですが、皆さんは予定のなかった休日に「今日は何もしなかったな」と、 なんとなく時間を無駄にしたような気分になったことはありませんか? しかし、私はそんな“何もしない日”こそ、とても大切な時間だと思っています。 私はもともと考えすぎてしまう性格で、 人と接するときには「相手が嫌な思いをしていないかな」とついあれこれ考えてしまい、 気が付くと疲れてしまうことがあります。 だからこそ、あえて“何もしない時間”を意識してつくるようにしています。 スマートフォンから離れて、のんびり過ごして、今の考えを一旦リセットする。 そうすると、さっきまでモヤモヤしていた気持ちを少し離れたところから見つめ直して、 「あれ、ちょっと考えすぎていたかも」と冷静に受け止められるようになるのです。 これは、デザインにも通じるところがあると思います。 長くひとつの制作物と向き合ってアイデアが煮詰まってしまったとき、 少し別のことをして頭をリセットするだけで、不思議とすぐに良いアイデアが降りてくることがあります。 予定のない休日も、何かしなきゃ!と焦らずに、 ときには思い切って「何もしない」ことを選んでみてはいかがでしょうか? 自然と心と頭が軽くなるかもしれません。 そんな過ごし方も、きっと意味のある一日になるはずです。...
ときめく瞬間を求めて
こんにちは!ディズニー大好き デザイナーの髙橋です。 私は今一眼レフカメラに夢中になっています。 高校生の時写真部に入部したことをきっかけに、一眼レフカメラの世界に魅了されました。 スマートフォンで誰でも簡単に綺麗な写真が撮れるような時代ですが、 ファインダーを覗いて、重厚感のあるシャッターを切るあの感触には ”撮っている”という実感があってとても好きです。 合宿や体育祭、修学旅行などで どう撮れば被写体がかっこよく映るのか、構図や比率、余白、シャッタースピード、露出などを 試行錯誤しながら夢中でシャッターを切っていました。 友人やクラスメートの生き生きとした表情や、自然な笑顔を撮れた時のときめくような気持ちが忘れられず、 人を撮ることが好きになりました。 社会人になった今は、大好きなディズニーでのパレードやショーで キャラクターやダンサーを撮影することが休日の楽しみになっています。 お気に入りのキャラやダンサー、撮りたいシーンを求めて、長時間場所取り(いわゆる“地蔵”)をすることもあります。 カメラ目線や躍動感ある瞬間、キラキラしたとびっきりの笑顔を切り取れた時の嬉しさといったら…! この上ないときめきを感じます!! 帰宅後に写真をレタッチしてさらに魅力を引き出す時間も楽しみの一つです。 気に入った一枚にコメントを添えてInstagramに投稿するまでが、私のディズニーの楽しみ方です。 最近撮った、私の写真史上最高にかっこいい一枚をここでも披露したかったのですが…載せられないのが残念です笑 この“ときめく瞬間”を探し求めることは、日々のデザインにも通じていると思います。 どうすれば目を引くか、どうすれば伝わるか、手に取ってもらえるか、配色や構成など… まだまだ未熟ながらも、日々模索と挑戦を重ねています。 カメラでもデザインでも、誰かの心を動かす”ときめく”作品を届けられるようになりたいです。...
走りながら
夏前の暖かく涼しい気候が気持ちよく、 最近はランニングが習慣化してきました。 デザイナーの高橋央です。 元々は健康や体力をつけるために始めたランニングでしたが、 続けてみると他にも良いことがあることに気がつきました。 それは、走るルートでしか見えない日常の景色です。 電車を使わず、自分の住まいからただひたすらに走ってみる。 たったそれだけのことですが、 通勤時に歩く見慣れた景色から徐々に見たことのない景色に変わっていくのは新鮮で、 普段絶対に通ることのなかった道まで走ることができてワクワクします。 知らなかった老舗のお店や、緑が生い茂ってる公園、 桜並木が綺麗な川沿い、道沿いに咲いてる綺麗な花。 ランニングしなければ見つけることが出来なかった小さな気づき。 それらの新たな発見に好奇心が高まり、どこまでも走りたくなる。 そうして走るたびに、 その日の記録写真を必ず撮るようになりました。 走りながら、気になった物や景色を切り取り、なぜそれが気になったのか… 例えば、色が美しい、形が面白いなど、 自分なりに言語化できるように考えるのも楽しいです。 小さな発見から感性を磨けるように、 そしてそれをデザインに反映できるように、今日も走り続けます!...
食を“かわいい”と思える感性
こんにちは!デザイナーの 杉山かのか です! 突然ですが、このコラムを開いて下さったあなたへ質問。 『食べ物に対して“かわいい”と思ったことはありますか?』 あると思った方、私と同じ中々のレア者の感性かもしれません。 とは言え、顔の付いたマカロンや動物のドーナツ、クリームソーダなど今は沢山のかわいい食べ物がありますよね。 ただ、私の場合は昔からそれらだけでなく、一般的な見た目のワッフルやサンドウィッチ、ハンバーグなどに対しても美味しそうという感情より先にかわいいという感情が湧き上がってくるのです…。 そんな私は、シズルそのものにテンションが上がって、思わず「かわいい!!!」と口に出しちゃうタイプ………でした。 と言うのも、学生の頃に友人達とカフェに行った際に頼んだ一般的には何の変哲もないただのトーストに対して、 「待って。このフォルム、色味、形、焼き目、香り、めちゃめちゃ可愛くない?」と発言した際に、どん引かれてしまったことをきっかけに口に出すことは無くなったのです。 その後、「この感性って私だけなのか…?」と疑念を抱きながらも、趣味のカメラを片手にカフェ巡りに勤しんでいました。 下の写真は、私が心の中で「かわいすぎる!!!」と叫んで撮った食べ物たち。 都内や地元の神奈川県で撮ったメニューで、どれも美味しかったので気になった方はぜひ画像検索してみてください! 時を経て、今では自分が大好きな食とデザインどちらも携わることが出来るこのヘルメスに入社。 リアルフードだけでなく、お土産や量販店で売られているパッケージを見ることが大好きだった為、そうしたデザインを実際に手掛けることが出来ている瞬間はまさに夢のように嬉しいです。 実際、食をかわいいと思える感性が役に立ってるかもと思える瞬間も数知れず…! この感性を活かしながら、みなさまに素敵なデザインをお届けできるように日々精進していきたいものです。 余談ですが、私が最近ハマっている趣味をご紹介。それは、ミニチュアフード作りです。 ガチャガチャブームが巻き起こっている昨今、様々な食べ物やパッケージデザインが小さな形になっているのを見掛けます。 リアルフードに対してでは無いにしても、私と同じ「食を“かわいい”と思える感性」が広がっていることに嬉しさしかありません。 私自身、月1でお気に入りのガチャコーナーに足を運ぶ習慣が出来ているほどハマっているのですが、最近はそうした小さな食を作り手としても楽しむようになりました。 下の写真は、私が樹脂粘土を使用して制作した食べ物たち。(うん、我ながらどれもかわいすぎる!) まるで粘土を作るときのようにアイデアを沢山練りながら、 世の中にとって明るい兆しが見えるご提案をすることをモットーに…ときめきをカタチにしていきます。 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました! 以上、デザイナー 杉山かのか でした。...
文字、フォルム、イマジネーション
  文字は、言葉を表記する人類共通の記号であり手段で、紙やデジタルなどのメディアに情報を記録・伝達するという機能がある。同時に、その機能を超えた独特の魅力があると私は考えている。そんな文字にまつわる超偏愛的な話題を3つ。   ■ 機能を超えたフォルム 映画のタイトルが、劇中でどのように登場するかは、私にとって映画を観る楽しみの一つである。闇と静寂の後、壮大な音楽と共にタイトルロゴが現れる『スターウォーズ』は何度観てもシビれるオープニング。ティム・バートン監督作品は、どれも手作り感のある独自の文字造形とグラフィックでどこか温かい。どんな映画も、当然、様々な趣向が凝らされている。 『エイリアン』(1979:リドリー・スコット監督)のタイトルはとにかく秀逸だ。 具体的に語ることは避けるが、これほど普遍的な美しさを纏い、創造的で、そして何より驚きのある、優れたタイトルシークエンスを、私は他に知らない。一切無駄の無い美しさは、「完璧な生命体=エイリアン」を、直接的なモチーフを使うことなく表現している、と深読みすることもできる。作り手目線で考えるに、文字のフォルムを丹念に観察した結果、着想を得たのではないか、つまり意味よりカタチ優先で創作されたのではないか、と勝手に想像している。 この表現は、後に同監督により制作される『プロメテウス』(2012)、『エイリアン:コヴェナント』(2017)にも継承されている。リドリー・スコット監督を敬愛するフェデ・アルバレス監督によりアップデートされた『エイリアン:ロムルス』(2024)では、思わずニヤリとしてしまった。     ■ 原始の造形 泉屋博古館東京(東京・六本木)の企画展「不変/普遍の造形 住友コレクション中国青銅器名品選」で、初めて古代中国の青銅器をじっくりと鑑賞した。器の奇怪さもさることながら、表面に張り付いている造形に目を奪われた。 金文である。 金文とは、古代中国の殷~周あたりの時代に作られた青銅器に鋳込まれた文字のことで、漢字の元になったといわれている。普段見慣れている文字とは異なるフォルム。生まれた時から文字が当たり前に存在する “文字ネイティブ” の私たちにとって、それは「文字っぽい線の集合」である。一つひとつは図形のようだが規則正しく並ぶことで、とても「文字っぽく」見えて心地良い。洗練されていないユルい曲線で人間や自然を象ったようなものが多く、子供が描いたような純粋さもあり、何ともユーモラス。そこにはプリミティブな魅力が満載なのである。 金文に限らず、エジプトのヒエログリフ、北欧のルーン文字、メソアメリカのマヤ文字など、古代文字はどれも原始的な姿でありながら、神聖な雰囲気を纏い、呪術的な効力もありそうである。各民族の宗教、生死観が造形に反映されているようで魅力的だ。 人類は世界各地で様々な文字を発明した。「必要は発明の母」というが、記録する必要に迫られたのだろうか。どんなきっかけで生まれたのだろうか。完成までには、やはりコンセプト設定や機能を果たすためのルール作り、膨大な数のアイデアと推敲、誰かが旗振り役となり最終的な判断を下したのだろうか。何度も何度も地面にスケッチを描いたのだろうか。あーでもないこーでもないと議論したのだろうか。妄想が膨らむ。     ■ イマジネーションの先に 何気なく立ち寄った書店で出会った一冊の文庫本。昆虫の標本箱のような表紙。きっと私の偏愛を満たしてくれるに違いない、という確信と共に即買いした。 円城塔『文字渦』は、想像をはるかに超えていた。 文字(主に漢字)を題材にした、とてもとても奇妙な12の短編集。オビの言葉も大袈裟ではなく、「翻訳不可能!」であり「今世紀最高の奇書」だった。翻訳どころか、オーディオブックで朗読されたところで、この小説の凄さは伝わらない。 生きた文字同士を闘わせるバトル遊戯、意志を持つルビ、猟奇殺字事件など、過去から未来、化石からソフトウェアまで、思いもよらない世界観の連続。まさに縦横無尽、なんて自由!!! 文字を題材にした前衛表現であり、狂気もパロディも飲み込む壮大な妄想。文字組みも規格外の箇所あり。偏や旁などパーツの形から物語が展開したり、文字を分解して遊んでいるかのようで、そこが堪らなく面白い。感動的ですらある。 中島敦『文字禍』(後から知って読んでみたが、こちらも凄い!)からインスピレーションを得たのは間違いないだろうが、イマジネーションの飛躍が凄まじい。完全には理解できないので、流れに身を任せて字面を追うのだが、脳内でイマジネーションの渦に溺れるような快感。この “古今超絶夢想オルタナ文字奇譚” を、原文の日本語で楽しめる私たちは幸せである。いやホントに。   そもそも、漢字にしろアルファベットにしろ、文字を構成しているエレメントは、単なる点と線である。それらがタテ・ヨコ・ナナメに交錯し、或るカタチになると「文字」となり、途端に音や意味を持つようになる。決まりごととはいえ、よくよく考えると不思議である。逆に、じぃぃぃっっと文字を見つめていると、音も意味もすぅぅぅっっと薄れて、点と線を寄せ集めただけの、意味不明のカタマリに思えてくる。はて、「ふ」とはこんなおかしなカタチであったろうか?と奇妙な感覚に陥る経験は誰しもあるのではないだろうか。 点と線のカタマリが 映画監督の創造性を刺激したり 何千年も超えてプリミティブな魅力を伝えたり 風変わりなサイエンス・フィクションのモチーフになったりする。 そんな奇妙で、美しく、ロマン溢れる、不思議な魅力に満ちた 「文字」への興味は尽きない。...
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